アンダーツリーの歴史


アンダーツリーグループについて
アンダーツリーの歴史

1984

アンダーツリーの幕開け

アンダーツリー株式会社が誕生したのは1984年。日本経済がバブル景気に向かう直前の時代でした。当時、設備関係の仕事をしていた創業者 木下春雄(現・代表取締役会長)が、あるパチンコ店のマネージャーとの出会いをきっかけに、縁あって1店舗を譲り受けたことから歩みを始めます。そして1986年、兵庫県豊岡市城崎町にて、記念すべき1号店となる「マンモス」を開業。以降、兵庫・京都の北部を中心に店舗展開を進めました。

 

1994年には西宮市へ出店し、関西有数の経済圏である阪神エリアへの進出を果たします。しかし、その矢先に阪神・淡路大震災が発生しました。

「街の灯り」としての原点

1995年1月、兵庫県南部を震源とする巨大地震が発生。多くの地域が被災する中、当社店舗は営業可能な状態でした。地震発生から2週間後に営業を再開すると、多くのお客様がご来店くださいました。この経験から店舗が人々の心の拠り所となっていることに気づき、「街の灯り」となる存在を目指すようになったのです。この想いを原点に、同年秋にはKICONA尼崎店を開業し、復興とともに新たなスタートを切りました。

期待の「キ」、興奮の「コ」、驚きの「オ(―)」、泣き笑いの「ナ」を組み合わせて生まれました。アンダーツリーではサービスを通して、お客様に色とりどりの感情をご提供しています。日常では味わうことの少ない「期待」「興奮」「驚き」「泣き笑い」を通して、街に灯りをともし、人と街とがつながる、温もりある居場所をつくっていきたいと考えています。

ブランド確立への取り組み

関西圏から首都圏へ、飛躍的に出店拡大してきたKICONA。その認知度向上を目的に、2009年からテレビ・ラジオCMを積極的に展開。2011年には大阪市西区に本社を移転し、「街の灯り。心の灯り。」の理念に基づいた企業文化の醸成に取り組みました。また、新たに行動指針として「integrity(誠実・正直・真実)」を掲げ、従業員教育を強化していきました。これらの施策が、現在のKICONAブランドの基盤となっています。

M&Aによる
成長と社会貢献の広がり

2015年、茨城県に本社を置いていた株式会社金馬車を迎え入れ、本格的なM&Aによる事業拡大を開始しました。アンダーツリーが重視しているのは、相手企業との融合を大切にし、互いの強みを活かすシナジーを生み出すことです。たとえば金馬車の場合、その高い人材力を現行の人事制度へと受け継いでいます。さらに、関東進出の加速に向け、東京支社を八重洲に開設し、2016年には100店舗を突破しました。
事業規模の拡大と同時に広げていたのが、社会貢献の輪です。東日本大震災をきっかけに始めた寄付活動は、2016年の「街のあかり」設立、2020年の公益社団法人認定へと発展しました。

公器としての責任と挑戦

2020年から世界中に蔓延した新型コロナウイルス。その影響で、アンダーツリーは約2ヶ月にわたり全店休業を実施しました。この未曾有の事態の中、経営陣は「公器としての役割」を最優先に判断。利益追求よりも社会的責任を重視し、全従業員(アルバイト含む)の給与を継続保証し、採用活動も継続しました。こうした誠実な対応が従業員の士気向上につながりました。

第二創業元年としての飛躍

困難に直面しても挑戦を続ける姿勢こそが、アンダーツリーの成長の原動力です。創業40周年を迎えた2024年を「第二創業元年」と位置づけ、さらなる成長に向けて新たな一歩を踏み出しました。これからも地域社会と共に歩み、“街の灯り”としての役割を果たし続けます。